2007年10月29日月曜日

新譜の7インチに空いた穴と、リトルカブのウィンカー位置


こりこり書いてるうちにおじいちゃんの話みたく長くなってしまったので、先にお茶を用意してください。やりすぎた。

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September Jones の7インチ2枚組(正規リイシュー)を買いました。

生涯にたった4曲しか残さなかったシンガーの、言わばこれがすべてという貴重な音源です。しかもそのうち2曲はアセテート盤でしか確認されていない未発表曲なので、絶滅危惧種(しかもIA類)の繁殖に成功したという意味ではやっぱり、手をぱちぱち叩いてよろこぶべき事件と言えましょう。ちなみにアセテート盤というのは、今でいうマスタリング前に使われるチェックディスクというか、ラベルも手書きの、要はデモテイクです。何しろ用途からして数枚しかつくられないものだし、劣化が早いので、そこにしか残されていないとなると、一歩まちがえれば高松塚古墳の極彩色壁画的惨事をまねくことになる。たいへんだ!

でも僕は若いのでそんなこと知らない。生きものにしても文化にしても、やむなく絶えることそれ自体にも僕は肯んずるものがあるし、ただすてきな録音に耳を傾けることのできるよろこび以上に必要なものなんて、考えてみたらそんなにない。針を落とせる幸運がすべてです。ありがたいことだとシンプルにおもう。ピクチャースリーヴも可愛い。




ところで、7インチには通常、LPよりもはるかに大きな穴が空いています。ドーナツと呼ばれるゆえんです。なので、レコードプレイヤーにのせるときは、専用のアダプタを用意しなくてはいけません。なんでまたわざわざ穴の大きさを変えなくちゃいけないかというと、これ本来はジュークボックスにセットするための穴だったのですよね。

でもこれ、新譜なんですよ。ふつうに暮らしていたらジュークボックスで音楽を聴く機会なんてほぼゼロなのに、今もって同じ仕様でつくられているというのは、考えようによっては奇妙なことです。ありそうな理由を挙げていくとそう奇妙でもないんだけど、そうせざるを得ないいろいろな事情があるにせよ、すくなくともそれが元々の意味や理由とはまったく別の話であることはまちがいない。だってジュークボックスないんだもの。でしょう?にわとりの羽や、リトルカブのウィンカー位置とおなじで、名残りにちかい。

スクーターにのったことのある人はわかるとおもうけれど、ウィンカーの切り替えスイッチって通常左についているでしょう?右手はアクセル、左手はウィンカー。理にかなってますね。ところがカブの場合は、それがどちらも同じ右側にあるのです。しかもご丁寧にウィンカーの切り替えがわざわざアクセルと同じ縦方向につくられている(↑↓)。左右を切り替えるんだから、横のほうが自然だし、だからもちろん、スクーターは横方向です(← →)。ということは、右への設置が不自然であることを認識しながら、切り替え方向を縦にしてまで、ふたつの動作を同時に右手でこなす必要性があったことになる。なんで?とおもってバイク屋さんにきいたら、「カブって出前に使われることが多いでしょ。片手が空いてたほうが便利だったんですよ。昔はとくに」というのです。ポン(ひざをたたく)。なるほどね!しかしべつに「出前専用」ってわけでもないのに、そうとう固定された需要にこたえてまるごと仕様を変えちゃうって、ちょっとすごいですね。粋なことをするものだ。

でも僕がのっている「水駒」は、リトルカブです。カブの長所をそのままに、娯楽性を高めてリメイクしたシリーズなのだから、かつてはそれなりの理由があったとはいえ、ウィンカー位置まで受け継ぐ必要はぜんぜんないのです。理由はあっても必要はない。

物語というのは往々にして、こういうところから生まれるのだと僕はいつもおもう。なぜだろう?という疑問を挿しこむ余地があり、かつその答えがきちんと用意されているとき、それは規模の大小にかかわらずひとつの歴史を語る種になりうるのだ。7インチの穴みたいに本来とはちがう理由がくっつくこともあれば、ニワトリの羽みたいにただ残っちゃっただけのものもあるけれど、点として今のこるものの裏に過去へとつづく1本の細い線がのびているのをみることほど、刺激的な体験もない。ないですよ!こういうのを物語と呼ばずになんと呼ぼう。これだけおもしろい話が、日常にも無造作にポロポロところがっているのだから、それらを生きている間にぜんぶ拾いきるにはまったく、どうしたらいいんだろう。長生きしたくなってくる。

あとできればいいかげんブログを簡潔にしたい。

それでなくともブログじゃないね、もう、と人に言われてヘコんでいるのです。だって「今日はどこどこで何をしたよ」なんて、知らないよそんなの、ってじぶんでも思うんだもの!

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