2014年9月28日日曜日

おもうほどピンとこなかったオーバー30限定クイズ


あとそうそう、どうでもいいようなことですが、といってもこのブログにはだいたいどうでもいいようなことしか書いてないのですが、日本ではすくなくとも7カ所の「ドイツ村」が確認されているそうです。(ウィキ調べ

このまま増えていくといずれ列島全体がドイツになるような気もしますが、そのころには惑星の名も東京に置き換わっているはずだし、全体からしたら単なる席替えくらいのことでしかないのかもしれません。

これまた各地にちらほらと見受けられる「アメリカ村」や、その他のいろいろな村についてはまた別の機会に考えましょう。

2014年9月25日木曜日

青くきらめくこの惑星の名が東京です。


「東京ドイツ村」なるものの存在を、つい先日はじめて小耳にはさんだのです。

ちかごろは地方自治体のアンテナショップが都心のあちこちにあって盛況だし、なるほどそこにドイツが含まれていてもふしぎではないな、と一度は納得しかけたのだけれど、しかしふと冷めた頭で考えてみれば、列島の一部である自治体とユーラシア大陸を隔てた先にある一国家を同列に論ずるのはいささか乱暴にすぎるようにもおもわれます。アンテナといってもそこには八木アンテナとパラボラアンテナくらいの違いがあると言わねばなりません。だいたい「村」とあるのにショップだと勝手に合点すること自体、ろくすっぽ注意を払っていない、よい証拠です。

ふむ、とするとこりゃハウステンボス的なテーマパークだな、と何も知らずにただ想像の翼をばたつかせるだけの僕は考えます。きっとドイツの町並みとかを再現していたりするのです。その名を冠している以上、すくなくともフランスとかトルコとかモンゴルとかそういう他所の国は除外してまず差し支えありますまい。

それにしても東京にそんな施設があるとはこれまでちっとも知りませなんだ。三度のメシよりドイツが好き、というわけでもないけれど、電車でぴゅっと行ってぴゅっと帰ってこれる距離にパスポート要らずのドイツがあるなら、それはもちろんいそいそ出かけるのが当然です。かの国の知識といったら、えーとベルリンの壁とか、ヴィム・ヴェンダースとか、グリム兄弟とか、モホリ・ナギとか、ミュンヒハウゼン男爵とか、ソーセージにザワークラウト、あとはビールなら16歳から飲めるとかそのくらいしか持ち合わせていない僕としては、理解を深めるまたとないチャンスでもあります。

こうしちゃいられねえ、とすっかりその気で所在地を確認してみたところ


千葉県のど真ん中でした。

念のためお断りしておきますけれども、僕は重箱の隅をつついて得意な顔をするほど了見の狭い男ではありません。ちょっとばかし東京をはみ出たからといって即東京ではないなどと目くじらを立てるつもりもありません。東京ディズニーランドだって厳密な所在地を言えば千葉県浦安市だし、もっと言えば県境たる江戸川の下流には今もって東京なのか千葉なのか判然としない土地が存在するくらいです。どこがどこまでかなんて、個人レベルで言ったらべつにどっちだってかまわない。ですよね?

しかしその大らかな受け止めかたをもってしてもなお、さすがにかの地は千葉すぎるのではありますまいか。

言ってみればそれは、ナターシャとお話がしたくて電話をかけたのに姉のヴァシリーサだか弟のアリョーシカが出たあげく「まあ似たようなもんだから」と言い張って一向に取り次いでもらえないようなものです。ちがいます!すごく近いしよく似てるしそれを否定したいわけでもないけれど、じゃあそれでいいかと言ったらやっぱりそういうわけにはいかないんです!

東京からの距離を半径にして円を描くとこうなります。


仮にこの範囲までは東京だとしましょう。この場合、当然の帰結として範囲外の地域がなぜ東京でないのかという疑問が生じます。ここまできたら山梨だって東京に含まれてもよいのではないか?山梨が含まれるなら長野が含まれてもおかしくないし、長野までいけるなら大阪もいけそうです。大阪までいったならもはや九州、沖縄、東北、北海道が含まれない理由もありません。その範囲は紙に垂らしたインクのようにじわじわと広がり、やがては地球の裏側まで到達することになります。もちろんドイツ本国さえも東京の一部です。というか、青く輝くこの惑星の名が東京です。

とまあそんなのびのびと飛躍した話はさておき、僕としてはただ、なぜそうまでして東京でなくてはならなかったのか、なぜ「日本ドイツ村」ではいけなかったのかをふしぎに感じているだけなのですが、それを知るためにはやはり一度、お弁当とおやつ持参で現地調査に赴かなくてはなりますまい。

うっかり忘れて、いざ行くぞとなったときにまた右往左往するといけないから、メモしておきましょう。

【メモ】東京ドイツ村は千葉のど真ん中にあること。

2014年9月22日月曜日

ピス田助手の手記ジュブナイル <後編>


「じゃあ待ちます」
「待つって?何を?」
「あなたがいなくなるのを」
「いなくなるまでって、たとえばどのくらいの時間?」
「さあ……5分とか」
「短すぎる」
「じゃあ10分」
「時計はもってるの?」
「ないです」
「ケータイは?」
「それもここには……」
「どうやって計るの」
「べつに」と青年は肩をすくめて言った。「数でもかぞえますよ」
「それもいいけど」と真菰は言った。「1分後に気が変わったらどうするの」
「べつに変えないですよ」
「そうかもね。でも」と言って真菰はしばらく間を置いた。そしてやにわにこうつづけた。「ねえ、男は浮気する生き物だって知ってた?」

青年は答えなかった。一本道を走っているとおもったらいきなり麦畑にハンドルを切って「こっちでいい?」と訊かれたようなものだ。答えられるはずがなかった。

「ほんとだよ。モデルプレスで読んだもの。それこそ鳥が飛ぶのと同じくらい、自然で仕方のないことだって」

そこへ新しい客が何の連絡もなくやってきて、真菰の目の前を行き過ぎた。気品あふれる白い何かがするするとすべるように、青年の背後を横切っていく。どう見たって鳥なのに、ああ鳥だとおもうまでにしばらく時間がかかった。ふたたび置かれた間の理由を示すように、真菰は空の客を指さした。

青年は何も言わなかった。言わなかったが、真菰の指さす方向には顔を向けた。ふたりが立つよりもすこし高い空を、コサギが紙飛行機のように飛んでいる。まっすぐに伸びた2本の脚は黒檀のようで、先だけが黄色い。真菰は遠ざかるその鮮やかなコントラストを目で追いながらつづけた。「何それってかんじだけど、これ見方によっては、ていうか男からしたらちょっとちがって聞こえるんじゃない?ちがう?」

青年は答えなかった。まったく関連のないふたつの事柄を同時に考えるのは誰だってむずかしい。彼もまた風にのるうつくしい鷺から、目を離さずにいた。

「だって鳥が飛ぶみたいに男が浮気をするんだとしたら、同時に2人か、なんならそれ以上と関係する機会がすくなくとも一生に一度は巡ってくるってことでしょ。もう巡ってきた?」

青年は答えなかった。

「もしまだなら」と真菰は言った。「死ぬには早いって気がしない?」

青年は吹き出した。頬をゆるませ、それから声を上げて笑い出した。

虚を衝くような反応に、真菰はすこしむっとした。不格好な着地をしたとはおもったが、腹の皮がよじれるような話をしたおぼえはない。そもそも本当にこんなことを言いたかったのかどうか、ただ張りつめた糸がいいかげん鬱陶しくて、いっそはさみでチョキンとやるべきかやらざるべきか、迷いながら気がついたらなんとなく口をついていた。

青年は申し訳程度の高さがある屋上の縁から下りてそこに尻をつき、椅子に座るような格好で裸足のまま靴の片方を手に取った。「何なんだ、いったい」
「こっちが聞きたいよ、そんなの」
「あ、さっきの」
「何?鳥?どこ?」真菰はあたりを見回した。
「後ろです。アンテナの上。扉の上の」

振り向くとコサギはいつの間にか旋回して塔屋のアンテナにすらりと降り立ち、黒く長い嘴を背中のあたりに埋めていた。「同じ靴履いてる」と真菰が言い、「さっきの話」と青年が言った。真菰はもういちど振り返って、青年を見た。
「ごめん、何?」
「1人目になってくれるんですか」
「ひとりめ?1人目って……ああ」そうきたか、と真菰はおもった。「それはむり」
「なんだ」と青年は言った。「せっかく履く気になったのに」
「履きなよ、もう。可愛いのにもったいないよ」
「靴が?」
「もちろん靴が」
「鳥とおそろいだし」
「履かないんならくれてもいいよ」
「そうですね」と言って青年は靴を手にしたまま、ぷらぷらともてあそんだ。
「冗談だってば。いいでしょ、もう。あ、待って待って。わかった。じゃあこうしよう」
「なんですか」
「2人目ならどう?」
「ふたりめ?」
「彼女ができるとか、結婚するとか、ま、どっちでもいいけど、そのとき」
「予約だ」と青年は笑った。「それ、浮気になるかな」
「わかんないけど。問題なくない?」
「全然」
「じゃあ交渉成立。靴、履いて」
言われたとおり、青年は掴んでいたスニーカーを下ろし、てきぱきと履いた。靴ひもを手際よくしばり、立ち上がって具合をたしかめた。細身のデニムにしっくりとなじんで、よく似合っていた。
「どっちが先に降りますか」
「そっちに決まってるでしょ。わたしまだひとりになってないし」
「そうでした。じゃあ、お先に」
「またここでね」
「またここで」青年はそう言ってすたすたと振り向くことなく、後ろ手に扉を閉めて去っていった。

二度とくるか、と真菰はおもった。先客の可能性があるとわかっているのに来る理由なんかどこにもない。そして考えてみた。彼はまたここにくるだろうか?去り際の様子を思い返せば、彼も二度とこない気がする。あるいはしばらくそのつもりがなくても、1人目ができたらのこのことやってくるかもしれない。万事に都合よく受け止めて行動する奴はどこにでもいるものだ。

知ったことか、と真菰はおもった。もう金輪際、関係ない。それにそのとき1人目がいるなら、反故にしたところでどのみち飛び下りる理由は失せているだろう。

コサギはまだアンテナの上にいたが、やがて何か思い立ったように翼をばたつかせ、ふたたび青く澄んだ大空に飛びこんでその身をゆだねた。フィンみたいな脚の黄色が、日差しの加減で目に濃く映る。飛ぶというよりは浮くようにして、浮くというよりは泳ぐようにして、呼ばれざるオブザーバーは水なき水中を運ばれていった。そうして白く可憐なシルエットが点になるまで見送ると、真菰も踵を返して扉に向かい、ぱたんとやさしく後ろ手に閉めた。


2014年9月19日金曜日

ピス田助手の手記ジュブナイル <前編>


ムール貝博士に命を狙われるような日々を儚んだダイゴくんが団地の屋上から飛び下りようとした、という話は聞いていた。死なずにすんだのはてっきりうまいこと着地してしまったからだとばかりおもっていたが、どうもそうではないらしい。

わたしはそれを、真菰という茶飲み友達から聞いた。彼女は今まさに人がひとり飛び下りんとする瞬間に出くわし、たいへんな冷や汗をかいたと言ってそのときの状況をつぶさに話してくれた。あとになってもろもろのことを考え合わせてみるに、このとき彼女の出くわした男がおそらくダイゴくんだったろうとわたしはおもう。

とここまで書いてつらつら考えるに、真菰は相手を青年だと言っていたから、やっぱり全然ちがう気がする。それはまあそれでかまわない。もうひとりの登場人物が誰であろうがなかろうがどのみちあまり、というかまったく問題ではない。わたしはただ、彼女の話がおもしろいとおもったからそれを書き留めるだけだ。彼女が話してくれたほど上手にまとめられるかわからないが、ことの次第をなるべく簡潔に再構成してみよう。




真菰はときどき、その屋上にきた。

立入禁止になっているから、住人はこない。屋上へ通じる扉には鍵もかかっている。ただ林立する十数棟のうち、12号棟だけそれが徹底されていなかった。どこにだって例外はある。団地の防犯事情もその例外ではない……というのはもちろん例外のうちに入らないという意味ではなく、例外があることの例に漏れないという意味だが、ともかく真菰はその例外を知っていた。団地の住人ではなかったが、そんな様子はちらとも見せず、気が向くとやってきてじぶんの部屋のように使った。一帯が高台で眺めもいいから、日々の毒気を抜くにはおあつらえ向きの場所だった。

ところがその日は先客がいた。

例外があるということは、それを知る誰かがいるということだ。誰かが知っているなら、他の誰かが知っていてもふしぎはない。天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る無しと謂わんや。真菰はちいさく舌打ちした。

そこにいたのは青年だった。青年は屋上の端にいた。もともと憩うような場としてあるわけではないから、落下防止の柵はない。押せば簡単にころりと落ちる、巨大な直方体の縁に青年は立っていた。

それから真菰は、靴をみた。青年は裸足で、何も履いていない。その足下に、靴がそろえて置いてあった。黄色の地に白のランニングシューズで、ニューバランスで、たぶんぴかぴか、とこまかな描写を加えてもいいが、どんな靴であれ同じことだからべつに端折ってもいい。大枠のところはよって件の如しだ。この状況で言い足すべきことがさて、他にあるだろうか?

「動かないで」と真菰は言った。「やめて。おねがいだから」

青年はいぶかしげに真菰を見ていた。人生の総仕上げにいざ取りかかろうとするタイミングで、見知らぬ他人が台本よろしく闖入してきたら誰だってそういう顔になるにちがいないという顔をしていた。無理もない。そしておそらくこの場においては、相対する立場でありながらふたりとも寸分違わぬ印象を共有していただろう。すなわち、「なんかめんどくさいことになった」という苦々しいばつの悪さを。

すーはーと大きく呼吸を整えて、真菰はもういちど声をかけた。「靴を履いて。とりあえず」
青年はすこし間を置いてから言った。「誰ですか?」
「誰って……そんなのこっちが聞きたい。いいから靴を履いて」
「ひとりにしてくれませんか」
「靴を履いてからでもいいでしょう?」
「脱ぐか履くかは僕が決めます」
「わたしが安心できないの」
「じゃあ出ていけばいい」
「どうしてわたしが出ていくと安心できるってことになるの?」
「関わらずにはすむでしょう」
「えーとね」と真菰は苛立つ気持ちを抑えながらゆっくりと切り出した。「ここ、立入禁止でしょ」

青年は答えなかった。無視をしているわけでもないが、耳を傾けるふうでもない。どこか心あらずで、ただただこの無為な時間がにわか雨のように過ぎ去ってくれるのを待っているかのようにもみえた。実際そうだったのだろう。

「ちがうのちがうの。立入禁止のことで責めたいわけじゃないの。だってそれはわたしも同じなんだから。そうじゃなくて、よく考えてみて。立入禁止の場所に人がふたり忍びこんで、そのうちのひとりが飛び下りるとするでしょう?そうするとどうなるとおもう?」
青年はまたすこし間を置いて、答えずに肩をすくめた。
「よく考えて。のこされる人、って要はわたしのことだけど、かわいそうとかそういう心理的にどうこうじゃなくて、もっと現実的な意味で、困ることになる、とおもわない?しかもちょっとシャレにならないっていうか。わかる?」
「わからない」
「考えて。でなければ靴を履いて」
「うるさい人だな」
「うるさくもなるよ!」と真菰はおもわず声を荒げた。「頭のネジ外れてるんじゃないの?この状況だとどう考えてもわたしに殺人の容疑がかかるでしょうが!偶然居合わせただけですなんて誰がそれを証明してくれるの?化けて出て出頭してくれる?ていうか何でわたしが知りもしない人に対するありもしない犯罪の当事者にいきなりならなくちゃいけないの!どこの誰だか知らないけどちょっとは考えてよわたしだって好きこのんでこんな状況に首突っ込んでるんじゃ……わああ、待って待ってちょっと待ってごめん落ち着いて、わたしも落ち着くから、ちがうの、そうじゃなくって、ていうかそうなんだけど、そう、そうなの。きもちはわかるし、できればかろやかにフワッと身投げさせてあげたいのは山々なんだけど、うっかりここに居合わせちゃった以上、ひとまず今日のところは、そう、つまり……予定をキャンセルしてほしいってことなの。次はほら、誰もいないときにひとりでゆっくり。ね?どのみちこんなんじゃ落ち着いて身罷れっこないでしょう?」

青年は長くやるせないため息をついた。今にも煙草を1本取り出しそうな倦怠感が全身からにじみ出ている。嗜まないのか持ち合わせていないのか、しかし彼はそうはしなかった。ただ視線をどこともなく泳がせながら、身じろぎひとつせず、立ち尽くしていた。考えなくてもわかりそうなことだが、おそらく彼は「なんだってこんな目に遭っているのか」という思いをつよくしていたにちがいない。

それからふいに、顔つきが変わった。すくなくとも真菰の目にはそう映った。眉間にしわが寄り、たれこめる暗雲のようにみるみる表情が翳っていく。人が不機嫌になるのはたとえば、見たくないものを見たとき、知りたくないことを知ったとき、それから努めて暈していた思いにうっかりピントが合ってしまったようなときだ。真菰はぎくりとした。怒らせたかも。すくなくともお花畑で手を取りながらあなたもわたしもハッピーで異議なし、という雰囲気からはほど遠い。そうおもってまた声をかけようとすると、今度は青年が口をひらいた。「もういいですか」
「いいって……何もよくないよ」
「ひとりになりたいんです」
「わたしだってひとりになりたくてここにきてるんです」
「あとから来たのはそっちでしょう」
「そのせいで牢屋に入ることになりそう」
「それでなくともうんざりなのに」と青年はさっきよりも大きなため息をついた。「この期に及んでもうたくさんだ」
「うんざりなのは」と口をついて出たその先の言葉を呑みこんで、真菰は言い換えた。「そっちだよね。もちろん」



後編につづく。

2014年9月16日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その184

これは一体どこから来て、なぜ畑に置かれたのか……


ダンス・ウィズ・くるぶしさんから折も折、というかんじの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)


Q1: フライヤー、CDジャケットなどのデザインのとき、浮かんだアイディアの中からどういう基準で選んだり最終決定をだしているのですか?私はアイディアが浮かんでも良いと思うのは自分だけなんじゃないか……と不安になったりします。どのデザインのお仕事でもお洒落なものを製作されてるので、お聞きしたいです。


なるほどたしかに、これは切なる問題です。僕もデザインにかぎらず、たとえば詩を書いたり、ビートを組んだり、あるいは料理をしていてもそんな思いにとらわれることがあります。これ、すごくおいしくできたとおもうけど、そう思ってるのはじぶんだけなんじゃないか、とかね。置かれた状況や程度の差こそあれ、誰もが一度は抱える不安のひとつであると申せましょう。

でもその一方で、僕はこうもおもうのです。仮に良いとおもうのがじぶんだけだったとして、それが果たして「イコール良くない」ということになるんだろうか?10人中9人が気に入るものと、10人中1人しか気に入らないものが同時に並んでいるとき、その支持率で良し悪しを決めてしまっていいんだろうか?

もちろんひとつの目安として、数はそれなりに意味があります。「多いにこしたことはない」という考え方には概ねイエスと言っていいとおもう。でももしこれが「多ければ多いほど良い」になると、似ているようで意味が明らかに変わってきます。何となれば後者は、「少なければ少ないほど良くない」と解釈することもできるからです。そんなこと言ったら広大なマイノリティの原っぱでちいさな花を咲かせる僕のアルバムなんか、問答無用で良くないものにされてしまうじゃないですか?

たしかにそうかもしれません。そうかもしれませんが、それではどこまでいってもしょんぼりするばかりだし、僕としてもさすがにちょっといたたまれません。なのでここはひとつ、受け止め方を変えてみましょう。すなわち「良いとおもうのはじぶんだけ」ではなく、「じぶんが良いとおもうのだからこれは良いものだ」という解釈に切り替えるのです。そもそも良いとおもうのがじぶんだけかどうかなんて実際のところ神様でもないかぎり誰にもわかりっこない、というごくごく当たり前の事実を、ここであらためて思い返してみる必要があります。

では具体的にどうしたらそうおもえるかということですけれども、これはもうただただ、ひたすら数をこなす以外に道はありません。ひととおり完成したあとではなく、浮かんだアイディアの時点で不安になってしまうのだとしたら、なおさらです。そこで立ち止まるとどうしても完走する回数が少なくなってしまいます。結果がどうあれ回数を重ねたほうが、次の走りに期待が持てるとおもいませんか?10回だって走りきればどの走りが良かったかが自ずと見えてくるものです。

実際、「アイディアの時点で選ぶ」ことってほとんどありません。ひらめきが最終的な出来を保証してくれるわけでは全然ないし、浮かんだアイディアは基本的にぜんぶ試します。試して持て余すこともあれば、そこから思いがけない方向へと転がっていくこともある。選ぶのはだから、その後ですね。

だからまあとにかく、やってみることです。すくなくとも僕が決定を下す際の基準は、その積み重ねと反省から生まれています。微調整とかブラッシュアップのほうがそれよりはるかに難儀なんだけど、まずはここからです。


A1: じぶんが良いとおもうのなら、それは良いものとみて間違いありません。


デザインをお洒落だなんて言ってもらえることあんまりないので、うれしかったです。どうもありがとう!良いとおもってるのは僕もじぶんだけだとおもってました。


ダンス・ウィズ・くるぶしさんにはもうひとつ質問をいただいていたのでそれにもお答えしましょう。



Q2: ブログの記事を読んでいてパンケーキがお好きだと見受けられるのですが、「Eggs 'n Things」には行ったことはありますか?本当にどうでもいい質問ですみません……ちなみに私は4.5枚でギブアップしました。。


お答えするにはちょっと時機を逸してしまった感がなくもないですが、僕としてもホッと肩の力を抜けるとてもありがたい質問です。「Eggs 'n Things」は通りすがりに行列を眺めただけで、入ったことはありません。

僕にとってパンケーキが人生に欠くべからざる存在なのはたしかです。たしかですが、美味しいものを追求するよりは、ただ小麦粉がこんがりとキツネ色に焼かれていることを祝福したい。そういう原始的なよろこびからすると、世間の話題に上るようなスイーツ系はちょっと気品がありすぎるのです。大雑把なこの向き合いかたで昔から無理なく付き合えていつもしあわせなのはロイヤルホストと、あとは日本から撤退してしまったけどかつてのIHOP(International House Of Pancakes)でした。僕がIHOPに心傾けていまだに忘れられずにいることは、「バニーズへようこそ」ひとつとってもおわかりいただけるとおもいます。20年前にこのブームが来ていたら撤退はしなかったかもしれない、とおもうとくやしくてなりません。あるいはバーガーキングみたいに再上陸してくれてもいいのよIHOP……!



A2: 行列だけみました。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その185につづく!

2014年9月12日金曜日

かなしきナキウサ症候群に特効薬はあるか


このところずっと、お医者さまでも草津の湯でも治らない、というかハナから相手にしてもらえそうにない、ちょっとした症状に悩まされて回復の気配もさらさらなく、ためいきしきりなのです。

他所では何と呼ぶかわかりませんが、僕の郷土では昔からこれをナキウサ症候群と呼んで一過性の失調に数えられています。要は「TXT」の3文字が泣いているウサギにしか見えなくてほとほと困り果てる症状のことです。


一般的な日常生活において「TXT」にふれることはそれほど多くありません。そもそもこの3文字はほぼテキストファイルの拡張子にかぎって使われる文字列であり、仮に目にするとしても大文字ではなくむしろ小文字です。症状も末期になると小文字でも発作を誘発しかねないのですが、ともあれ通常は3つの大文字がひっきりなしに目に飛びこんでくる状況などまずないに等しいと言ってよいでしょう。


ところがOSがMacの場合は事情がすこしく異なります。何しろご覧のとおりアイコンにはっきり「TXT」と書いてあるのです。字でそのとおり書いてあるからまちがいようもないし、すごくわかりやすい。すごくわかりやすいけれども、それだけにしょっちゅう目に留まります。テキストファイルをまいにち湯水のごとく扱う人にとってはなおさらです。


おまけにこれがまた症状の悪化を加速する大きな原因のひとつだとおもうんだけど、アイコンの端っこがちょこっと折れてて耳みたいなんだよね!こう、ピョコってかんじで無駄に愛くるしさを演出してくれているというか、どことなくさみしげで、きもち悄気ているようにもおもわれるし、何かツラいことがあったんじゃないかとおもったらもういてもたってもいられず、おい大丈夫だって、そうしょんぼりするなよ、やなことばっかりじゃないよ、そんな顔されたらこっちまでキュッと胸がしめつけられて嗚咽をこらえながら机に突っ伏したくなるだろうがああああああ!!!

※これが発作です。

症状を緩和するにはいっさいの電子機器を遠ざけ、どこかしずかな町に行ってひなびた宿に部屋をとり、秋の冷めた風にやがて色づく山肌なんかを眺めながら、ひと月ばかり静養するのがいちばんです。沢のせせらぎや銀木犀のやさしいにおい、どこかの家で番をする犬の遠吠えに、閉じ込められていたわずかな野生がむくりと頭をもたげます。滝壺のしぶきを浴び、山の恵みを食らい、淀んでいた血液が音を立てて巡り始めます。身体が溌剌なら心も闊達です。こうなればもう「TXT」も単なる文字にすぎません。ゲシュタルトっぽい何かが崩壊してたにちがいないがそれにしても我ながら完全にどうかしていた、まったくこれが泣いているウサギに見えただなんて、どこにそんなウサギが、ウサギが……泣いてるやないの……。


ことほどさように症状が末期に至ると、アイコンはもはやこんなふうにしか見えません。


かなしい。なんだかよくわからないけどすごくかなしい。そしてくるしい。なのに愛くるしい。そしてくるしい。

2014年9月9日火曜日

月刊MdN10月号のこと、とその具体例をもうひとつ


ことの経緯と要旨はいかにと申せば、「フォントの扱いとその実例を紹介する連載企画にて『小数点花手鑑』のデザインを取り上げたく候、云々」とレーベル経由で打診をいただいたのです。

……フォント?

こはそもいかにと顎をなでつつ、聞けばタイトルである「小数点花手鑑」、「しょうすうてんはなのてかがみ」、「sounds great in STEREO」、「ROUTE」、「15.6843…」についてのことであると申されます。要はジャケットに置かれた文字すべてというわけです。

むむ、なるほど……それはたいへんすてきなお話です。かような切り口でアルバムをご紹介いただける機会もそうはあるまいし、僕からデザインを請け負った僕としても僕にそこそこ大きな顔ができることになります。異存があるはずもありません。しいて難を挙げるとすれば、ジャケットのどこにもフォントは使われていない点です。何しろそのほとんどが書体データではなく、必要な分だけをデザインから作り起こしています。企画の趣旨にぜんぜん沿っていないこと以外はもちろん是非なくウェルカムですけれども、しかしまあなんというかやはり、そんなわけにはまいりますまい。


ということで推辞と謝辞あわせてなるべく丁重にお伝えしたところ、豈図らんや「制作過程が面白そうなのでぜひ」というとても明るいお返事をいただきました。文字の作り起こしが格別珍しくもないことを考えると、あるいは「英数字の由来」なんかが新鮮に映られたのかもしれません。

すがすがしいほど懐が広い!

てな次第でアルバム「小数点花手鑑」、月刊MdN 10月号「フォントのショーケース」にまるまる1ページ掲載されております。この号、巻頭の特集「イラスト表現の物理学 爆発+液体+炎+煙+魔法」が評判を呼んで飛ぶように売れてるそうなので、気になる方はお急ぎあそばせ。最後まで一貫してまったくほころびのない、丁寧で誠実な対応をしていただいたことからしても、心から信頼できる雑誌です。



さて、作り起こした文字、そして抽出した英数字をタイポグラフィとしてフル活用した典型例をここにもうひとつ挙げるついでに、タケウチカズタケ feat. STERUSSによる「Switch On Turntable(Remix)」の7インチ、200枚限定リリースのお知らせです。





ちなみに抽出した活字をクリアなHelveticaに置き換えると、こうなります。

ひどく手間のかかることをする理由がこれで……全然伝わってこないな。


7インチは10月中旬発売の予定ですが、なにしろ200枚限定なうえに、取り扱いはdisk union新宿クラブミュージックショップの1店舗のみです。もちろん通販は可能なので、お早めのご予約をおすすめします。B面には "Don't Cry To Me" (下の動画参照)が収録されているし、個人的に黄色い声を上げたくなるのはアルバムよりもこっちかもしれません。ご予約は電話かメールで、こちらから。

こう言っては身もふたもないけれど、「処方箋/sounds like a lovesong」がお好きな方は、「より良い転落のためのロール・モデル」あたりで本領を発揮する男なんかよりもむしろ彼をこそ追うべきだとおもいます。

<参考資料>


2014年9月5日金曜日

新兵器、またはルパート王子の涙(大粒)について

<前回までのあらすじ>
7月にリリースの最新作「小数点花手鑑」に収録された「リップマン大災害/RIPman disaster」でムール貝博士についてうっかり口をすべらせたダイゴくんは、アンジェリカから「博士が何かをせっせとこしらえている」ことを漠然と聞き及び、それがどうも自分に向けたものらしいという意趣返しの予感から、ごはんもちょっとしかのどを通らない戦々恐々の日々を送っていた。



ジリリリン

はーいはいはーい!ダイゴちゃんでーす!」
「……」
「もしもーし!あれっ。もしもーし!」
「ダイゴくんさあ……」
「うわっアンジェリカ!……さん……」
「わかってるとはおもうけど……」
「はい」
「もうちょっとちゃんとしたほうがいいとおもうよ、ホント」
「はい、すみません」
「ホントに」
「ダメ押ししないでください」
「(ためいき)」
「すみません」
「じゃあね」
「え」
「まちがえた。ついいつものくせで」
「どどどどど」
「……何?」
「すみません。どどどんなご用件でしょうか」
「そんなに怯えなくたっていいでしょ」
「すみません」
「今日は耳寄りな話なんだから」
「ご親切に痛み入ります」
「なんだってそう卑屈になるの」
「すみません」
「ま、いいけど。あのね、こないだの話」
「と言いますと」
「きのうちょっと泳いできたの。プールで」
「はあ……え?」
「すっごい大きなプール。最近できたの。知らない?」
「いえ、全然」
「直径が50メートルで、深さも50メートルくらいあるの」
「はあ、そりゃまたキングサイズな」
まあ博士のなんだけど
「ギャー!」
「ちょっと何?」
「すみません、最近どうも過敏になってて」
「それでね、よくよく聞いたらそれプールじゃないんだって」
「はあ」
「泳いでもいいけど、泳ぐためのものじゃないって言うわけ」
「なるほど」
「じゃあ何なのって聞いたら……ルパート王子の涙は知ってる?」
「はあ……え?ルパ?」
「ルパート王子の涙」
「……ガラス?あの、雫みたいな形の?」
「そうそう。あれつくるための冷却装置なんだって」
「えーと、つまりさっきの巨大なプールが?」
「そうそう」
「デカすぎやしませんか」
「デカいよね」
「え、ちょっと待ってルパート王子の涙ってたしか……」
「それでピンときたわけ」
「待って待って待って、それって」
「それって?」
「こないだ話してた例の?」
「そう、それ」
「鼻歌まじりでつくってるって言ってたあれ?」
「とおもうんだよね、あたしも」
「え、でも関係……ないよね」
「何が?」
「それはぼくにかんけいがあるのですか」
「ないといいよね」
「ちょっと!」
「だからほら、一応知らせてあげようとおもって」
そんな水爆みたいな涙いらないよ!
「事前に知れてよかったじゃない」
「全然よくない」
「まあ、そういうことだから。元気でね!」
「待って待って待って!」
「お達者で」
「やめて!」

プツリ

ツーツーツー




説明せねばなりますまい。

ルパート王子の涙とは17世紀のヨーロッパで生まれた、文字どおり癇癪玉とも言うべき奇妙な性質をもつ愛らしいガラスのことです。

と言ってもつくるのはそんなにむずかしくありません。図解しましょう。

1. 高熱でとろとろに溶かしたガラスを…

2. 水の中にぽとんと落とします。

3. これが「ルパート王子の涙(Prince Rupert's Drop)」です。

なんて詩的なの!とときめくきもちはよくわかります。見た目は宝石そのものだし、ここまでなら実際メルヘンの世界です。しかし不用意に手をふれてはいけません。というのもこれ、

4. 滴の先っちょがポキンと折れると…

5. 一瞬ですべてが爆発的に砕け散ります。

こうなったら楽しいのにな、という空想ではありません。れっきとした科学のお話です。なかなか割れない分、ちょっとでも破損すると瞬時に全体が粉々になる強化ガラスと同じ原理ですね。

百聞は一見に如かず、この現象の不思議をじつに美しく、かつたいへんわかりやすく解き明かした動画があるのでそちらをご覧あそばせ。



なんて美しいの…!





ではここで話を元に戻し、ムール貝博士が直径50メートル、深さ50メートルのプールでこしらえたというルパート王子の涙(大粒)のサイズ感をインフォグラフィックで表してみましょう。



※注:プラグ氏をご存じない方は、彼の身に以前ふりかかった世にもスプラッタな災難(→前編/→後編)をご覧ください。


博士がこれを何のためにこしらえたのかは、博士が博士である以上、ここであらためてくどくど説明せずともわかりきっています。問題はその矛先が僕一人に向けられている、ということです。


「そうだルパート、ルパート王子に聞けば何か……」

プルルルル

「もしもし」
「あっ王子!あの、じつはですね」
「おや……」
「あ、もうしわけありません、あの緊急でお伺いしたくて」
「博士じゃないな」
「はい、あの博士はですね」
「この番号は博士しかご存じないはずだぞ」
「えーと、つまり僕です」
「君……」
「ダイゴです!」
「ダイゴくん、わるいが切らせてもらうよ」
「待って待って!」
「この番号が外に漏れるとは……」
「待って待って僕ですってば!」
「きもちはわかるが……」
つーか何でおれがおれの描く世界で無碍にされなくちゃなんねえんだよ!いいかげんお前らちょっとは敬意ってもんを払え!


ピー

~しばらくお待ちください~


「失礼した。話を聞こう」
「わかってもらえればいいんです」
「用件は何かね?」
「ことの趣は斯様々々で」
「?」
「あの、かくかくしかじかで」
「?」
「つまりこれこれこういう次第で」
「もういい、わかったことにしよう、それで?」
「ルパート王子の涙のですね……」
「涙?……ああ、あのガラス玉のことだな」
「エネルギーをゼロにする方法をご存知ではないかと……」
「いや、もちろん知らない」
「え?」
「知るわけないだろう、実験に立ち会っただけなんだから」
「いや、でも……」
「だいたい300年以上前の話なんだ、知っていたとしても覚えているわけがない」
「そんな!」
「役に立てなくて残念だよ」
「待っ」

プツリ

ツーツーツー

2014年9月2日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その183


明日9月3日は僕も大いに関わっている(が音楽的には1ミリも関わってない)タケウチカズタケの新譜 "UNDER THE WILLOW -BLEND-" の発売日です。お店によっては今日から手に入ることもあって彼の周辺はその話題で持ちきりのようだし、そういえばアルバム以外にもお話すべきことがあったと今になって思い出したのだけれど、それを気にしだすと先送り先送りにしてきたことがまたさらに先送りになってしまうので、ひとまず忘れましょう。

ちなみにタケウチカズタケとは、前作オーディオビジュアルに収録されている「処方箋/sounds like a lovesong」で切ないメロディを奏でているキーボーディストです。




ぶっちぎりの国のアリスさんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士がてきとうにつけています)ウサギより足、早そうですね。


Q: ご自分の詩を『文字』で覚えてらっしゃいますか?それとも『音』で覚えてらっしゃいますか?


タマフルやHello Worldでもすこしそんな話になった気がするけれど、初めての人には「あれだけの言葉数をよくおぼえていられるなあ!」という印象を持たれることが多いようです。ここだけの話、僕も他人事のように「よくこれだけの言葉数をおぼえたもんだなあ」とおもったりしています。

実際のところ、おぼえるのはそれほど特殊な技能ではありません。個人的にはものすごーく苦手ではっきりそう言ってもいるから「やっぱりたいへんなんだ」とおもわれがちなのは確かです。でもスポークンワーズの世界でこれくらいの量はとりたてて珍しくもないし、それを言ったら役者さんのほうがよほど難儀だろうと僕なんかはおもいます。たいへんなのはあくまで記憶を司る僕の海馬がその程度の資質しか持ち合わせていないからです。もっとハイスペックだったらよかったのに、ざんねんなことですね、返す返すも。

また、100%ばっちりおぼえていても、それをそのとおりにきちんとやれるかどうかはまた別の話です。そらでならいくらでも言えるし、とちることもないし、それこそ溢れるように言葉が流れ出すのに、マイクを前にすると急にある単語だけ霞がかってどうしても出てこなかったりすることがあります。というか、だいたいいつもそうです。僕にとってはこっちのほうがはるかに重大かもしれません。つまり、おぼえているのに出てこないということ。

言葉だけならしっかり頭に叩きこまれています。でもそれだけでは一文字こぼれ落ちた時点ですべてが泡と消えかねません。それをカバーする際に、「文字」か「音」かといった質問にもあるようなことが大事なポイントになってくるわけですね。

結論から言うと、「両方」です。さいしょは音からなんとなく掴むようにしている気もしますが、最終的には脳裏にカンペが貼り出されています。1枚の紙にプリントアウトしたものだったり、ブックレットの見開きだったりとどういうわけか詩によってちがってはいるものの、紙の上に文字が印刷された状態をイメージとして浮かべているのはたしかです。どちらかといえば「今このへん」という位置関係を把握するのに使っているかんじ。

というのも、似たフレーズの繰り返しがあり、かつ文言が必ずしも順を追っていないような場合、音だけの記憶に頼るとそれらが入れ替わっても気づかなかったりするからです。「七つ下り拾遺」なんかがその典型ですね。ビートに展開があればまたちがうのだけど、僕は基本ワンループが大好きなので、その弊害がこんなところに表れてきます。順を追ってはいるものの音だけだと多少入れ替わっても気づかない、という意味ではひと昔前の「アンジェリカ」もそうです。「聖母はトンプソンがお好き」にもすこしそんなところがあるかもしれません。

また音としての記憶は、とりわけ「言葉が飛んだあと正しい位置に戻る」のに絶大な威力を発揮してくれます。いったん踏み外した文字は後から追っても絶対に追いつかないし、ビートから先回りしたほうが手っ取り早いのです。脳裏のカンペでだいたいの箇所をとらえつつ、音から流れゆく文字の現在位置を絞りこみ……待てよ、なぜ失敗前提で話をしてるんだ?

それからもうひとつ、カンペとはべつに「情景」も思い浮かべています。レイヤーというか、半透明のカンペの後ろにひとつひとつの場面がでーんと映し出されているとおもってください。ただこれはおぼえるためというよりは自然と浮かんでくるものだし、リーディングにかぎらずどんな身体表現にもデフォルトで伴う感覚なんじゃないかなとおもいます。

いずれにしてもひとつ言えそうなのは、文字や字面といった言葉それ自体の視覚的な要素がパフォーマンスの上でかなり大きな割合を占めている、ということです。歌やラップと決定的に異なる点があるとすれば、このあたりのような気がしないでもありません。

あくまで僕個人の場合は、という特大の但し書き付きですけども。


A: 使えるものはぜんぶ使って必死に刻みこんでいます。


質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その184につづく!