2015年7月28日火曜日

ムール貝博士のパンドラ的質問箱 その220

うどん……


乳母らしき哉、人生!さんからの質問です。(ペンネームはムール貝博士が適当につけています)


Q: 別にラッパーになりたいとかはないのですが、なにげなく喋ってるなかで韻がふめたりしたらかっこいいなーってたまーに思います。なのでどうやったら普段から韻が踏めるようになるでしょうか?


僕もべつにラッパーというわけではないのでそんなこと言われてもどうお答えしていいのかよくわかりませんが、はっきりしているのは、なにげなく喋ってるなかでばしばし韻を踏まれても大多数の人は困る、ということです。日常会話においてなるべく避けたほうがよいものがあるとすれば、押韻はそのひとつに数えてよいでしょう。すくなくとも僕は戸惑います。

なぜかというと、日本語はそもそも脚韻を踏むような構造にはなっていないからです。韻を踏もうとすると、どうしても体言で止めることが多くなってしまいます。あくまで詞のかたちをとるラップであればまったく問題ないですが、日常会話でムリなく体言止めを駆使するのは至難の業と言わねばなりません。

もちろん、可否で言えば可です。言葉には無限の可能性があります。極めれば流れるように用言で韻を踏むこともおそらくできましょう。なんなら脚韻ではなく頭韻でそろえる手もあります。しかしそうまでして韻を踏むだけの甲斐が果たして本当にあるかどうか、そうまでして韻を踏むだけの甲斐が果たして本当にあるのかどうか、大事なことなので二度書きましたけれども、もう一度よく考えてみてからでも遅くはないと僕なんかはおもいます。

うちのレーベルオーナーもわりと隙あらば会話の合間に韻を踏もうとするタイプの男ですが、それが全体としてプラスの方向に働いているかと訊かれれば、むむむと口ごもらざるを得ません。というか先に申し上げた高水準のスキルが伴わないかぎり、率直に申し上げて場末のスナックあたりで耳にする中年男性のトラディショナル(と言っていいとおもう)なユーモアと区別がつかないのです。相手がご同輩であればむしろ上等な潤滑油になる場合もあるし、それはそれで大いに結構なことだとおもいますけれども、しかし今ここで求められているのがそういうことなのかというと、やはり疑問がのこります。ラップにおけるライミングを愛する者にとって「駄洒落」の一言であしらわれる事態だけはできれば避けたいところです。

そしてもし「え、いや全然そんなかんじでいいんだけど」ということであれば、これはもう、場末のスナックでくだを巻くその道のプロフェッショナルから教えを賜るに越したことはありません。こうなると今度は目的が韻を踏むことから遠ざかっていくような気がしないでもないですが、それはまあ知ったこっちゃないし、この際うっちゃっておきましょう。

あと、なにげなく韻を踏めることより、ストレートにラッパーになりたいというほうがスタンスとしてははるかにカッコいいような気がするんだけど、どうでしょうね?


A: 踏めなくていいです。




質問はいまも24時間無責任に受け付けています。

dr.moule*gmail.com(*の部分を@に替えてね)


その221につづく!

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