2017年1月13日金曜日

エクスクルーシブかつラグジュアリーで洗練を極めた表現のこと


ご存じないのも無理はありませんが、僕は詩人です。詩人なので、世界のあちこちで無造作に転がる言葉の数々を心のホウキとちりとりで日々せっせと掃き集めています。詩人は言葉の移り変わりにも敏感でないといけません。ら抜き言葉とかカタカナ語の氾濫とか、かくあれかし的な美しい日本語とかそういうアカデミックなことはもっとえらい人に丸投げするとして、僕がいま好んで採集しているのはたとえばマンションの広告です。


こういうやつですね。電車の中吊りとか、新聞の折り込みでときどき見かける広告ですが、とにかく単なる住まいではないこと、今までになく新しいこと、エクスクルーシブかつラグジュアリーで都会にふさわしく洗練を極めていること、したがって人生を委ねる高い価値がここにはある、といった点を過剰なまでに強調しているせいか、他所ではあまりお目にかからない単語やフレーズの実験場みたいなことになっているのです。

今までになくこれが最初であることを、今までにない言葉で表現した結果、生まれたのがたとえばこれです。




「発表」だけでも初めての新しい知らせを意味しているはずなので、これはおそらくそれよりもっと初めてでそんじょそこらの新しさではないことを指しているとおもわれます。たしかに新しいと唸るほかありません。

住まいがあくまでも実用的なものである以上、利便性が備わっているのは大前提です。したがって新しい住まいをアピールする上ではさらにプラスα、付加価値が重要なポイントになります。しかし付加価値と言っても閑静であるとか、緑豊かであるとか、景色がいいとかでは他の多くの物件に埋もれてしまいかねません。たとえ同じことであってもせめて感性に訴えるような表現で、他と差別化を図りたい。肉を売るにしても、「焼くとおいしい」と言われるよりは「肉汁したたる」と言われたほうが食欲をそそります。まったくもって無理のない、こうした表現メソッドを住環境にも適用した結果がこれです。

傑作ではないらしい




















言いたいことはなんとなくわかるけれども冷静に考えたら何を言っているのかちょっとよくわからないとおもわれるかもしれませんが、大事なのは贅沢な雰囲気であって意味のあるなしは問題ではありません。なんとなくいいかんじであるからこそ受け入れられ、支持され、定着しつつあるのだし、むしろこうした若干アウトローな表現をまるっと許容する日本語の懐の広さにこそ、敬意を表するべきです。何よりここには想像の余地がたっぷりとあります。然るべき風景が誰にとって然るべきかといったらそれはもちろん住む人であって、実際のところそれがどんな風景であるかなど提供する側の知ったことではありません。羨望を纏うと言われたらそれはつまり「みんなうらやましがるよ」ということであり、多少噛み合わせがわるくともそれが大人びたムードで伝わりさえすればいいのです。潤いの最前席なんて、聞くだけでマイナスイオンを浴びているような気になるじゃないですか?

またこうしたメソッドは、ごくごく当たり前のことを唯一無二の特別な印象に甦らせてくれたりもします。たとえばこれです。



なかでも僕がとくに気に入っているのがこれです。


それは……ふつうのことではないのか……?

と言いたくなるきもちはよくわかります。一見すると建築に携わる人がするべき仕事をしただけのような気がするのはたしかです。しかしそうではありません。どこがどうそうでないのかは説明できませんが、とにかくそうでないことだけははっきりしています。そして最終的には、そうでないことだけが伝わればそれでよいのです。

正しいとか間違ってるというより、全体的に眼鏡の度が合わなくてクラクラと酔う感じに似てるんだけど、何なんだろうこれ……

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